大阪地方裁判所 平成元年(ワ)6403号 判決 1992年3月26日
原告
尾上實
ほか一名
被告
荒木治
ほか一名
主文
一 被告らは、各自、原告尾上實に対し、金一二一六万〇四六三円及びこれに対する昭和六三年六月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らは、各自、原告橋本恵美子に対し、金八〇万円及びこれに対する昭和六三年六月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告尾上實のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、原告尾上實と被告らの間ではこれを四分し、その一を被告らの負担とし、その余を同原告の負担とし、原告橋本恵美子と被告らの間では被告らの負担とする。
五 この判決は、一項、二項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告尾上實に対し、金四七二九万三六一六円及びこれに対する昭和六三年六月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 主文二項同旨
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生(「本件事故」)
(一) 日時 昭和六三年六月二二日午前一時ころ
(二) 場所 神戸市東灘区魚崎南町六丁目一〇番一号先国道四三号線瀬戸交差点付近
(三) 加害車両 普通貨物自動車(なにわ四四は五九九)
右運転者 被告荒木治(「被告荒木」)
(四) 被害車両 普通乗用自動車(大阪三三ろ七七二五)
右運転者 原告尾上實(昭和五年二月三日生まれ・「原告尾上」)
(五) 態様 赤信号のため停車していた被害車両に加害車両が追突し、これによつて、原告尾上が負傷し、原告橋本恵美子(「原告橋本」)所有の被害車両が損傷した。
2 責任原因
(一) 被告荒木
被告荒木は、本件事故当時、飲酒していたうえ、居眠りをしていたか又は前方不注視のまま制限速度を超過した毎時六〇ないし七〇キロメートルの速度で進行した等の過失により本件事故を発生させた。
(二) 被告林一二株式会社(「被告会社」)
(1) 運行供用者(原告尾上の請求について)
被告会社は、本件事故当時、加害車両を運行の用に供していた。
(2) 使用者(原告橋本の請求について)
被告会社は本件事故当時、被告荒木を使用し、同被告をして加害車両の運転業務に従事させていた。
3 原告尾上の受傷内容、治療経過及び後遺症
原告尾上は、本件事故により頸部及び腰部挫傷、頸髄損傷、腹部裂傷によりヘルニアの傷害を負つたほか、後縦靱帯骨化症を発症し、そのため、事故当日である昭和六三年六月二二日、宮地病院に救急搬送後、同日中に相原病院に転院して同年七月四日まで同病院に、同日から同年一一月二三日まで林病院に入院し、その後、平成元年七月五日までの間に計一六四回同病院に通院し、身体各部の運動制限、上肢のしびれ、頭痛、頚部痛、めまい、背部痛、ふらつき、肩痛、腰痛、視力低下、眼精疲労、硝子体混濁、飛蚊視、霧視等の障害を残して症状固定となつた。
4 被害車両の損傷内容
被害車両は、本件事故により、車体後部が中破し、車体が歪んだほか随所に損傷を生じた。
5 損害
(一) 原告尾上
(1) 治療費
イ 症状固定前 金一一万九九七三円
ロ 症状固定後
阪大病院 一〇万二五七〇円
さわ病院 七一五〇円
林病院 一万二三六〇円
箕面病院 八一八〇円
ハ 被告ら既払分 金三五三万三六九七円(被告らの不利益陳述)
(2) 入院付添費 金一一六万円
原告尾上は入院中付添を要し、同人と事実上の夫婦関係にあつた原告橋本がそれにあたつた。しかし、そのため原告橋本は勤務先を欠勤し月給二九万円を四か月間得ることができなくなつたのであるから、これに相当する入院看護費用を要したものと言うべきである。
(3) 入院雑費 金一七万〇五〇〇円
日額一一〇〇円の一五五日分
(4) 通院付添費
イ 症状固定前 金七一万円
原告尾上は、毎回通院の際には原告橋本に付き添われたうえ、同人によるリハビリの補助を受けていたが、そのため原告橋本の収入が減少したのであるから、これに相当する通院付添費を要したものと言うべきであり、その損害は通院一回あたり五〇〇〇円の一四二日分を下らない。
ロ 症状固定後 金二五五万円
イと同旨の損害として、日額五〇〇〇円の一七か月分(五〇〇〇×三〇×一七)
(5) 診断書料 金三万円
(6) 医療器具代 金四〇一七円
(7) 交通費
イ 症状固定前 金八万二〇〇〇円
原告尾上は、通院の際、原告橋本により自動車で送迎を受けていたから、その損害は通院一回に要するガソリン代五〇〇円の一六四日分を下らない。
ロ 症状固定後
駐車代・タクシー代 金一万〇九一〇円
イと同旨の損害として、日額五〇〇円の月三回、一七か月分 金二万二五〇〇円
(8) 雑費 金一七万円
月額一万円×一七か月=一七万円
(9) 休業損害 金六五〇万円
原告尾上は、本件事故当時、サロンの店長などをして稼働し、月収七〇万ないし八〇万円を得ていたから、本件事故により一三か月休業を余儀なくされたことによる損害は頭書金額を下らない。
(10) 逸失利益 金三一二三万三一八六円
五〇万円×一二か月×〇・七九×六・五八九=三一二三万三一八六円
(11) 慰謝料 金二七〇万円
(12) 弁護士費用 金三〇〇万円
(二) 原告橋本
被害車両は、原告橋本が昭和六三年五月三一日に中古価格約二〇〇万円で購入したものであるから、本件事故による損害は八〇万円を下らない。
6 よつて、原告尾上は、被告荒木に対し不法行為に基づき、被告会社に対し自賠法三条に基づき、前記損害の賠償として、既払金一三〇万円を除く金四七二九万三六一六円及びこれに対する事故の日である昭和六三年六月二二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、原告橋本は、被告荒木に対し民法七〇九条、被告会社に対し民法七一五条に基づき、前記損害の賠償として金八〇万円及びこれに対する前同日から支払済みまで前同様の遅延損害金の各自支払を求める。
二 請求原因に対する認否(被告ら)
1 請求原因1は認める。
2 請求原因2について
(一) 被告荒木
請求原因2(一)のうち、前方不注視については認め、居眠り及び速度については否認する(飲酒については明確に争つてはいない。)。
(二) 被告会社
請求原因2(二)(1)は認め、同(2)は否認する。
なお、被告会社では、被告荒木をして、本件加害車両を通勤のためにも使用させていたことは認める。
3 請求原因3のうち、原告尾上が、本件事故により頚部及び腰部を挫傷し二週間の入院加療を要したことは認めるが、その余は否認する。
後縦靱帯骨化症及び腹部ヘルニアは本件事故との間に因果関係はない。
特に、後縦靱帯骨化症は、たとえそれが認められるとしても、原告尾上の既往症であり、被告らはその寄与度に応じて減責されるべきである。
4 請求原因4は不知、同5は否認する。
三 抗弁(損益相殺)
被告らは、原告尾上に対し、本件事故の損害賠償として一三〇万円を支払い、原告の受診病院に対し、治療費として三五三万三六九七円を支払つた。
四 抗弁に対する認否
右二二〇万円の支払は、一三〇万円の限度で認める。
理由
一 請求原因1は当事者間に争いがない。
二1 請求原因2(一)のうち、本件事故が被告荒木の前方不注視により発生したことは当事者間に争いがなく、同被告が当時飲酒運転をしていたことは原告が主張し被告荒木がこれを明確には争わないので争いがないものとみなされる。
2 同(二)のうち、被告会社が事故当時本件加害車両を自己の運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。また、乙一の六及び弁論の全趣旨を総合すれば、本件加害車両は被告会社において被告荒木が専属的に使用を認められていたものであつたこと、本件事故は被告会社の勤務終了後、被告荒木が同僚と飲食し、帰宅する途中で発生したものであることが認められるから、被告会社は、自賠法三条の責任とともに、使用者としての責任(民法七一五条)をも負担すると解するのが相当である。
3 よつて、被告らは、本件事故により生じた原告らの損害を賠償すべき責任がある(民法七〇九条、七一五条、自賠法三条)
三 請求原因3及び4について
1(一) 事故状況及び車両の損傷状況
証拠によれば、以下の事実が認められる。
被告荒木は、少なくとも毎時五〇キロメートル以上の速度で加害車両を運転して本件事故現場交差点の手前に差し掛かり、それまでに被害車両の存在を認めてはいたが、自車後方に気を取られて被害車両の手前一三・二メートルの地点に至つて初めて危険を感じてブレーキを踏んだが間に合わずこれに衝突した。その後、加害車両は、衝突地点からさらに五・八メートル進行して停止し、他方被害車両は前方に一〇・八メートル押し出されて停止した(乙一の四及び五)。そして、右衝突により、被害車両は後部バンパー及びボデイー(トランク)が中破し、後部フレーム交換などのため、修理費八二万四八九〇円を要する損傷を受け、他方、加害車両も前部バンパーが大きく曲損し、フロントグリルが押し込まれ、ボンネツトカバーが山なりに折れ曲がるなどの損傷を受けた(乙一の三、甲二一ないし甲二三)。
(二) 治療経過
証拠(甲三ないし甲一〇、甲一一の一及び二、甲三一ないし甲三四、甲三七、甲三八、甲七二、乙三ないし乙二二(各枝番を含む。)、証人米延策雄の証言、原告尾上の本人尋問の結果)によれば、以下の事実が認められる。
(1) 原告尾上は、本件事故以前は日頃からジヨギング、キヤツチボール、犬の散歩、自動車の運転などを行い、表面上は特に健康に問題はなかつた。
(2) 本件事故後、原告尾上は、神戸市内の宮地病院に救急車で運ばれ、医師の診察を受けた。その際、同原告は、自覚症状として、頭重感、頚部・腰部・背部の各痛み、上腹部の腫脹感、右手指のしびれ感、めまい、嘔気などを訴え、またレントゲン写真による頚椎の生理的彎曲の消失並びに頚椎及び腰椎に変形症が、また超音波検査により胆石、腹部筋層の一部離断及び腹壁ヘルニアがそれぞれ認められた。しかしながら、歩行障害はなかつた(九回期日原告尾上本人調書四〇項)。そして、原告尾上は、頚部捻挫、腰部捻挫、腹部打撲傷の診断を受け、同病院に入院し、投薬、湿布などの治療を受けたが、同日中に右宮地病院から自宅近くで看護に来てもらうのに便利な箕面市内の相原病院に転院した。なお、同原告は、宮地病院入院直後トイレに歩いて行き、自ら排尿していたし(乙一九の二・六丁裏)、歩行は良好であつた(同・七丁表)。
(3) 原告尾上は、相原病院においても、自覚症状として、右頭痛、右頚部から肩部、右手にかけての痛み、右手ⅠⅡ指のしびれ感、嘔気、腰痛などを訴え、また、右上肢橈側知覚低下、頚部運動硬直、腹壁離断(内出血なし)が認められ、レントゲンにより第二、第三頚椎レベルの後縦靱帯骨化、胸椎下位、腰椎全体の骨棘が認められた。そこで、同病院医師は、同原告の症状を、頚部・腰部挫傷、腹壁瘢痕ヘルニアと診断し、同原告の希望により、安静加療を目的として同原告を入院させることとした(乙二〇・九丁裏)。そして、同原告は、同年七月四日まで同病院に入院し、投薬、点滴、湿布、牽引などの治療を受けた。この入院期間中、同原告は、右手でコツプを持てないとの症状も訴えたが(六月二九日)、握力テストでは右二五キログラム・左三四キログラム(六月二二日)、右三〇キログラム・左四〇キログラム(七月一日)であつた。なお、この入院中のカルテ及び看護記録中には、同原告が排尿障害を訴えたという記述はない。
(4) 原告尾上は、同年七月四日、豊中市内の林病院に後頚部痛、右上肢のしびれを訴えて転院し、その症状について、本件追突事故当時、後頚部痛、腰痛、右上肢のしびれが継続し、排尿障害があると説明した(乙二一・二丁表)。そして、同病院医師は、腹壁ヘルニア、第二ないし第六頚椎レベルの後縦靱帯骨化症、第三ないし第六頚椎間の推間板ヘルニアが認められるとして、頚髄損傷、後縦靱帯骨化症、腹壁瘢痕ヘルニアなどと診断し、同原告を入院させることとした。なお、入院時においては、両下肢のしびれや運動機能の障害はなかつた(乙二一・三七丁表)。
原告尾上は、この入院期間中、後頚部硬直感や右上肢の知覚異常(なお、ボタンの着脱はできないが、箸を使うことはなんとかできるとされている。乙二一・八丁裏)、しびれ感を、一時的な改善、増悪を繰り返しつつも、ほぼ継続して訴え、第六、第七頚椎の神経根症状が指摘されるなどしていた。しかしながら、排尿障害や第二ないし第六頚椎後縦靱帯骨化に伴う脊髄症状は認められなかつた(乙二一・九丁表、一四ないし二五丁)。そして、投薬、点滴、湿布、運動療法などの治療を受けた。
歩行に関しては、入院当初は、ベツド上安静が指示され、歩行は禁止された(乙二一・三丁裏)。しかし、七月一五日からは歩行が許可され(乙二一・四丁裏)、原告尾上も、七月一六日には、腹部を圧迫しながら歩行すると痛みがないと述べていた(乙二一・四〇裏)。ところが、七月二七日、グリセオールの滴下中突然前胸部痛を訴えたため、ベツド上で安静とし排泄もベツド上で行うように指示を受けた。もつとも、同原告は、同日午後八時には、気分が良く歩きたい気分であると看護婦に述べて、看護婦から絶対安静を促されるなどし、実際翌二八日午前七時には、気分が良く、歩いても堪えない、まつすぐ歩けると看護婦に対して述べるなどしていた(乙二一・四五丁表)。さらに、八月三日の神経学的検査の時点においても歩行は「良」とされている(乙二一・一一丁表)。そして、カルテや看護記録上、その後の入院期間中において、歩行障害を生じたことをうかがわせる記載はなされていない。
握力検査においては、右一一キログラム(七月一二日)、右一六キログラム・左三〇キログラム(八月三日)、右二〇キログラム・左四〇キログラム(八月二九日)、右一九キログラム・左二七キログラム(一〇月一日)であつた(乙二一・三丁表、一一丁表、一二丁)。
また、退院に関しては、カルテ上、八月二五日の欄に、そろそろ退院し、日常生活に戻る方向で考えるようにとの説明をしたと、一〇月八日の欄に、天気の悪いときは調子が悪いが、最近は状態良好、腹部の手術をせずに退院か?と、一一月一一日の欄に、今日は調子良い、なかなか退院しそうにないと、一一月一七日の欄に、少しずつ元気になつている、一一月末には退院するように言つている、外泊、外出等を繰り返し退院へと、それぞれ記載されている。そして、原告尾上は、昭和六三年一一月二三日、林病院を退院した。
なお、この入院期間中の一〇月二五日には、私病の胆石症の手術と同時に腹壁瘢痕ヘルニアの手術が施行された。
その後、原告尾上は、昭和六三年一一月二四日から平成元年七月五日まで林病院に通院し(実痛院日数一六七日)、投薬、運動療法などの治療を受けた。そして、同病院野口医師は、平成元年七月五日付で、後遺障害診断書を作成した。その後遺障害診断書には、<1>傷病名として、頚部捻挫、頚椎後縦靱帯骨化症、<2>自覚症状として、頭痛、後頚部痛、腰部痛、背部痛、両手のしびれ、眼前のかすみ、ふらつき感、<3>検査結果として、頚部の運動制限あり、大後頭神経部の圧痛両側ともあり、両側とも第五ないし第八頚髄レベルに知覚鈍麻を認める、両側上下肢とも明らかな反射亢進はない、四肢全体に軽度の筋力低下を認める、レントゲン写真上、第二ないし第五頚椎レベルに後縦靱帯の骨化を認める、<4>緩解のみとおしとして、今後も症状の増悪する可能性があることが記載されているが、歩行障害や排尿障害に関する記載はなく、頚部可動域に関する記載もなされていない(乙三)。
(5) また、原告尾上は、右林病院において加療中の昭和六三年八月五日から平成元年五月一七日の間、浅井眼科において診察を受け、飛蚊視、頑固な目の疲労、霧視を訴えたが、右眼硝子体中に薄い混濁、眼底の高血圧性・動脈硬化性変化が認められたのみで、その他に他覚的なものは認められず、浅井医師は、眼精疲労、右硝子体混濁と診断した(甲三二)。そして、原告尾上は、右症状を残したまま症状固定に至つたと診断された(なお、同医師は、後遺障害診断書の中で、右硝子体中の薄い混濁や眼底の高血圧性・動脈硬化性変化はいずれも外傷とは関係ないと思われるとしたうえ、同原告の症状は、他覚的には要因は証明されないが、頚部捻挫に由来すると考えられるとしている。甲六二)
(6) なお、原告尾上は、林病院において症状固定とされた以後も、同病院のほか「さわ」病院、箕面市立病院に通院したうえ、平成元年八月ころから大阪大学医学部付属病院(「阪大病院」)整形外科に通院し、両上肢のしびれ感、頭痛、背部痛などを訴えている。また、同原告は、平成元年一二月には、食事の際、箸を使うことができず、歩行に杖を使用し、日常生活に妻が介助を行う状態となつている(甲二八、甲四九、甲五一)。そして、阪大病院整形外科の米延医師は、同原告について、レントゲン写真上、第二ないし第五頚椎後縦靱帯に靱帯骨化としては大きい骨化像(第三、第四頚椎間の椎間板付近で最も厚い。また、レントゲン写真上、後縦靱帯骨化以外にも経年性の変形が一部認められたが、症状と結びつくほどのものとは認められなかつた。)が認められるとして、同原告に脊柱靱帯骨化症が存するものと診断している。同時にまた、同医師は、<1>同原告の就労能力に制限が生じる大きな原因は、自賠法施行令別表六級に該当するぐらいの著しい脊柱の運動制限があるが、この運動制限は、靱帯骨化そのものによつて直接生じている症状であつて、神経症状によるものではない(米延証言速記録一四丁、三五丁)、<2>肩関節の拘縮については脊柱後縦靱帯骨化症そのものに起因するのか、神経の障害に起因するのか、五十肩のような経年的変化に起因するのか見極めることができない(米延証言速記録三二丁、三三丁)、<3>頭痛、めまい、背中の痛みといつた自覚症状については、経験的には脊柱靱帯骨化症により生じる症状ではなく、交通事故に遭遇したことがあるとするとこれらは主として交通事故によるものと考えられる、これらは重度ではなく、自賠法施行令別表一二級程度のものである、しかし、知覚低下の領域・程度には一定しない部分があるし、頚髄の障害のみ説明するには、腱反射の亢進は上、下肢ともに認めない、筋萎縮も認めない、筋力テストは全体に四ないし五程度である、知覚としては第二、第三皮膚知覚帯より末梢に鈍麻を訴える、痛覚としては顔面にも低下があるなど説明し難い部分がある、また、コツプが持てないという点についても、杖をついたりすることがある程度できるなど判然としない部分があつて、表情や症状の訴え方からすると何らかの精神的要因が関与していると思われるし、神経症状として外から見る症状と同原告ができないと述べていることに一部差がある(甲二五、甲三四、(米延証言速記録一一丁、二六丁、三〇丁)、<4>同原告の歩行困難は、脊柱靱帯骨化により、歩くバランスが悪いことに加え、何らかの神経症状があると思うから、それらがあいまつて生じているものと思う(米延証言速記録三二丁)、<5>同原告には靱帯骨化としては非常に大きいものがあつて、発症するギリギリのところにあつたわけであるから、自然に発症する可能性もあつた(米延証言速記録七丁)、<6>将来的にも、脊柱の運動制限が強いことから肉体労働はかなり困難であると推定されているが、両肩関節の運動制限及び疼痛は治癒可能であり、神経学的に重度のものはなく、将来的には職業的に自動車の運転をすることも、やや重い物を持つ労働も、立ちつぱなしの労働も可能と考えられる(甲三四)としている。
なお、前記米延医師は、治療によつてまだ改善する余地があるとして、症状固定と診断していないが、同原告の症状には、林病院において治療を受けていた頃と比べて、さほどの変化が見られるに至つていない((米延証言速記録二七丁)。
2 そして、原告尾上が本件事故により頚部及び腰部を挫傷し、そのため事故後約二週間の入院加療を要したことは当事者間に争いがないから、以下、右認定事実を前提として、同原告が右各医療機関において診断を受けたその余の傷病について本件事故と因果関係を検討する。
(一) 腹部打撲傷、腹壁瘢痕ヘルニアについて
同原告が本件事故の際にハンドルで腹部を打撲した旨及び上腹部腫脹感と臍付近の異常を宮地病院において訴えていたことに加えて、前認定の事故状況から推認される事故時の衝撃の程度を考えると、同原告の腹壁瘢痕ヘルニアは、同原告にかつての手術痕として腹壁筋層の離断部分があつたため、本件事故時に腹部を打撲するなどの衝撃により腹圧が亢進したために生じたものであると推認される。
なお、右の腹部打撲傷及び腹壁瘢痕ヘルニアは、昭和六三年一〇月二五日に外科的処置が施されるまで特に治療を要せず、かつ右処置も私病である胆石の手術と同時に行われた(乙二〇、乙二一)。
(二) 頚髄損傷、後縦靱帯骨化症について
(1) 一般に、靱帯骨化症は、脊柱管内にあつて椎体を背部から支える後縦靱帯が何らかの原因により骨化肥厚し、同じく脊柱管内を通る脊髄を圧迫することによつて脊髄障害(慢性圧迫性脊髄障害)を生じさせ、あるいは外傷時における脊髄易損性を高める疾患で、この場合の靱帯の骨化は、個人差はあるものの一般に緩慢で、数年にわたつてゆつくりと進行し、骨化が始まつてもしばらくは無症状の状態が続くが、骨化靱帯の肥厚により脊柱管の狭窄が進むと脊髄の圧迫によつて、しびれ、運動障害、知覚障害といつた麻痺の神経症状が発症するとされている。また、骨化靱帯の肥厚により脊柱管の狭窄が進んだ状態においては、わずかの外傷によつて脊髄の圧迫による神経の損傷による障害が生じたり、外傷を受けて注意が自己の身体に向けられることによりそれまで自覚されていなかつた障害が自覚され、訴えとして現れるものとされている。
そして、このような靱帯骨化症に関する一般的知見を前提とした場合、靱帯の骨化がある場合において外傷を受けたときには、外傷に起因して脊髄の障害又は損傷が生じ、それによつて神経症状が発症するか、若しくは神経障害を自覚する可能性があることになるが、そのような神経症状は、脊髄の障害又は損傷により発症したものであるか又は既に存した神経障害を自覚したものであるから、事故と同時か、それに比較的近い時期において、顕在化するものと考えられる。これに対して、外傷が骨化そのものの原因となるとする証拠はないし、また、外傷が一過的な外力の作用であるのに対して、骨化は緩慢に、長時間をかけて進行する変性であることからして、外傷が骨化そのものの原因となることは考え難いところでもあるから、外傷後相当期間が経過してから、外傷に起因する脊髄の障害又は損傷が生じたり、若しくは神経障害を自覚したりすることは考え難いことになる。
(2) ところで、原告尾上は、本件事故以前は、日頃からジヨギング、キヤツチボール、犬の散歩、自動車の運転などを行い、表面上は特に健康に問題がなかつたが、本件事故後、早期の段階において、頭痛、頚部痛などのほか右手指のしびれを訴えるとともに、右上肢に知覚低下が見られるに至り、平成二年九月には、食事の際、箸を使うことができず、歩行に杖を使用し、日常生活全般において妻が介助を行う状態に至つたことは前認定のとおりである。
しかしながら、頚髄損傷については、林病院のカルテ及び診断書上に診断名として記載されているが、同病院においては脊髄症状がないものとされ、また、米延証言によつても将来の可能性として示唆されているにとどまつていること(米延証言速記録九丁裏)から考えて、むしろ存しなかつたものと認められる。歩行障害については、昭和六三年一一月二三日(林病院退院の日)までは特に問題になつていなかつたし、また、平成元年七月五日付で作成された林病院の後遺障害診断書においても指摘されなかつたこと、手指のしびれについても、筋力検査においては、全治療期間を通じて四(中等度の抵抗に抗して全可動域動くもの)程度とされ、さほど低下は生じていないし、握力検査において、相原病院入院中は右二五キログラム・左三五キログラム(六月二二日)、右三〇キログラム・左四〇キログラム(七月一日)程度であつたものが、林病院入院中には、右が一〇キログラム台、左も一〇月一日には二七キログラムまで低下するなどしたこと、林病院においては第六、第七頚椎の神経根症状を指摘されるなどしたこと、八月二五日以降、同原告はしばしば退院及び日常生活への復帰を勧められていたことも前認定のとおりである。さらに、同原告の主治医の証言によつても、神経症状として外から見る症状と同原告ができないと述べていることに一部差があり、また、表情や症状の訴え方からすると何らかの精神的要因が関与していると思われるとされている。
そして、これらの事実を総合すれば、同原告の平成元年一二月当時の症状の中には、なお、同原告において可能と考えられるものが、障害として含まれていることになるし、また、事故後、後遺障害診断を受けるまでの一年余りの期間においては存在せず又は軽微であつた症状が、事故後約一年半近く経過した平成元年一二月ころまでに発症し又は重篤な症状として存在するに至つたものと考えるべきことになる。
また、同原告の主治医である米延医師の証言によつても、同原告には靱帯骨化としては非常に大きいものがあつて、発症するギリギリのところにあつたことから、自然に発症する可能性もあつたこと、脊柱の運動制限は、靱帯骨化そのものによつて直接生じている症状であつて、神経症状によるものではないこと(同医師は、同原告の歩行困難の原因について、脊柱靱帯骨化に加え、何らかの神経症状が作用していることを示唆するが、同人の証言自体「何らかの神経症状はあると思うから」として推測を根拠にしているところ、証拠上、下肢については特段の神経症状は指摘されていないことからして、この部分に関する米延証言は採用できないことになる。)が認められるところである。
(3) このような事実関係からすれば、同原告の就労能力に制限が生じた大きな原因である脊柱の運動制限は、靱帯骨化が事故後も事故と無関係に進行し、一年半近くの時間的経過の中で増悪したことによつて、靱帯骨化そのものにより直接生じた症状であることになるから、本件事故との間に因果関係はないことになるし、歩行困難についても同様に、脊柱靱帯骨化そのものに基づくもので、本件事故との間に因果関係はないことになる。
一方、頭痛、めまい、背中の痛みといつた症状は脊柱靱帯骨化症による典型症状とは少し外れるものであるが、靱帯骨化症が存する場合に、外傷を契機としてそのような神経障害が発症する可能性は容易に肯認できるところであるから、本件事故との相当因果関係は存するというべきことになる。そして、その程度については、米延証言によれば、一二級相当であるとされているところ、同証人の判断は前記症状経過からして相当なものと認めることができる(なお、骨化した靱帯が脊髄そのものを傷害することによつてその神経症状が生じているという側面のあることや原告尾上の年齢などに照らし、その神経症状は、同原告が六七歳に達するまでの八年間にわたり残存するものと認めるのが相当である。)。
(三) 肩関接の拘縮及び腰痛について
肩関接の拘縮については、原告尾上の主治医である米延医師の証言によつても、原因を見極めることはできないとされているところであつて、本件事故との因果関係が立証されているとは認め難い。
また、腰部については、外傷性の他覚的所見はなかつたこと、かえつて原告尾上の腰痛には本件事故当時すでに骨棘などの経年性の変形症があつたこと(乙一九の一及び二、乙二〇)などを考えると、腰痛と本件事故との因果関係は認め難い。
(四) 眼科的症状について
原告尾上は、飛蚊視、眼の頑固な疲労感、霧視を訴えるものの、いずれも外傷とは無関係と考えられる病変以外に眼科的な変化は認められず、主治医である浅井医師としても、他覚的な証明は困難であるとしつつも、眼の頑固な疲労感についてのみ頚部捻挫に由来する可能性を示唆していることは前認定のとおりである。そして、このことに前認定の事故状況から推認される衝撃の程度を考え併せると、眼精疲労による眼の疲労感は、本件事故による前記頚部挫傷に由来するものと考えられるが、頚部神経症状として前記神経症状に含めて評価するのが相当である。
しかしながら、飛蚊視及び霧視については、本件全証拠によるも、本件事故との因果関係を認めることはできない。
また、原告尾上の平成二年一一月ころの視力は本件事故以前に比べて低下していることがうかがわれるが(甲七一、甲七三)、これと本件事故との因果関係を証する証拠はない。
四 原告尾上の損害について
1 損害額
(一) 治療関係費(四三三万四三四七円)
(1) 治療費(三五五万九一九七円)
<1> 証拠(乙六ないし乙一六の各二、乙一七、乙一八の二)及び弁論の全趣旨によれば、本件事故と因果関係のある前記傷病の症状固定に至るまでの治療費として合計三五三万三六九七円が支払われたことが認められる。
<2> また、甲四二、甲四三、甲四五の一ないし九及び甲四六の一ないし五によれば、原告尾上が治療費として一一万二一五三円を支出したことが認められる(なお、甲五七については、原告尾上に関するものとは認め難い。)。
そして、このうち、浅井眼科に対する治療費四万三一八〇円(甲四三)については、前認定のとおり眼精疲労の治療に関する費用分につき本件事故と因果関係のある損害と認められるものの、前認定の原告尾上の浅井眼科における診断内容等を総合考慮すると、右四万三一八〇円のうちその五割強にあたる二万五五〇〇円に限り本件事故との因果関係のある損害と認めるのが相当である。
他方、眼鏡代金四万八〇〇〇円(甲四二)については前認定のとおり視力低下と本件事故との間に因果関係を認めることができない。また、林病院に対する支払(甲四五の一ないし九及び甲四六の一ないし五)については、その趣旨が明らかではない(前記のとおり頚部の症状に対する治療費については自由診療により被告ら加入の保険会社から直接支払われている。また、右林病院に対する支払に腹壁瘢痕ヘルニアに関する治療費が含まれているとしても、それに相応する金額が不明である。)。したがつて、いずれも本件事故と因果関係のある損害とは認め難い(なお、腹壁瘢痕ヘルニアに関する治療費については、後記慰謝料の算定において考慮することとする。)。
以上によれば、本件事故と因果関係のある治療費は合計三五五万九一九七円となる。
(2) 文書料(五一五〇円)
甲一七によれば、原告尾上が林病院に対し照会回答書作成の手数料として五一五〇円を支払つた事実が認められるが、その余の文書料については、本件全証拠によるもこれを認めることができない。
(3) 入院付添費(五一万七五〇〇円)
乙六ないし乙九の各一によれば、原告尾上は、林病院入院中の昭和六三年七月四日から同年一〇月一四日までのあいだ、安静のため家族による付添を要したことが認められ、このことからすると、それ以前の他の病院における入院においても同様に付添を要したものと推認されるところ、甲三七及び甲三八によれば、右期間中、内妻である原告橋本が原告尾上に付き添つていたことが認められる。したがつて、付添看護費としては、日額四五〇〇円の割合による五一万七五〇〇円が相当であると認められる。
なお、原告橋本の勤め先の欠勤による給与逸失分については、付添による看護内容が余人をもつてしてはなし得ないようなものであるなどの事情が認められない以上、本件事故との間に相当因果関係を認めることはできない。
(4) 入院雑費(一七万〇五〇〇円)
前認定のとおり、原告尾上は、昭和六三年六月二二日から同年一一月二三日まで通算一五五日間入院したことから、この間、経験則上、同原告主張の日額一一〇〇円を下らない入院雑費を要したことが認められる。
(5) 通院交通費(八万二〇〇〇円)
原告尾上は、林病院退院後、症状固定に至るまでの間に同原告主張の一六四回を下回らない回数の通院を行つたことは前認定のとおりである。そして、弁論の全趣旨によれば、その間、原告主張の一日あたり五〇〇円程度の通院交通費を要したものと認められる。
(6) 通院付添費(〇円)
前認定の林病院退院時及び同病院において後遺障害診断を受けた当時における原告の症状から考えて、通院に際し、必ずしも原告橋本の付添を要したものとは認められないから、これと本件事故との間に相当因果関係を認めることはできない。
(7) 医療器具代(〇円)
甲四九によれば、原告尾上が杖の購入費用として四〇一七円を支出したことが認められるものの、前認定のように本件事故と歩行障害との間に因果関係は認められないのであるから、当該支出は本件事故による損害とは認められない。
(8) 雑費(〇円)
原告尾上は、前記入院雑費のほかに雑費として月額一万円を要した旨を主張するが、その内容は明らかではなく、その支出及び本件事故との因果関係は不明であるといわざるを得ない。
(9) 症状固定後の通院費用(〇円)
前認定のように原告尾上は、平成元年七月五日、林病院において症状固定の診断をうけた後も、後縦靱帯骨化症の治療のため阪大病院などに通院していた。しかしながら、元来、後縦靱帯骨化症に対しては外科的な治療方法しかなく、実際、右通院期間中、特に症状の改善はなかつたものと認められる(米延証言)本件においては、後記の後遺症に対する慰謝料に含めて評価されるべきであり、それを超えて主張されるものについては本件事故との間に因果関係を認めることはできない。
(二) 休業損害(三九七万三六七二円)
甲一九、甲二〇、甲三〇、甲三七、甲四四及び原告尾上の本人尋問の結果によれば、原告尾上は、本件事故当時、大阪市南区宗右衛門町においてクラブ「ボストン」及びラウンジ「バンバン」なる風俗営業店を経営していたこと、しかしながら、原告尾上はそのいずれにも店長をおいて運営させていたこと、本件事故直前において「バンバン」店の収支は赤字であつたこと、原告が営業上動かなかつたことにより「ボストン」店は昭和六三年末に閉店となつたこと(九回期日原告尾上本人調書四五ないし四七項、五二項)などを考え併せると、原告は、本件事故当時、賃金センサス(産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計・五五歳から五九歳まで)による年間平均賃金四八〇万五八〇〇円相応の収入を得ていたものと認められる(それ以上の収入を得ていたことを証するに足る証拠は存しない。)ところ、原告尾上の風俗営業店経営における右稼働内容などから考えて、本件事故により同原告が休業したことにより、事故日から「ボストン」店が閉店となつた昭和六三年末までについては、その収入の六割程度、その後の症状固定日である平成元年七月五日までについてはその収入相応額の損害を被つたものと認めるのが相当である。
したがつて、その休業損害は次の計算のとおり、三九七万三六七二円となる。
(計算式)
4,805,800×193÷365×0.60=1,524,689・・・<1>(小数点以下切り捨て)
4,805,800×186÷365×1.00=2,448,983・・・<2>(小数点以下切り捨て)
<1>+<2>=3,973,672
(三) 逸失利益(四二五万六一四一円)
前認定の後遺症の内容及び程度によれば、原告尾上は、本件事故により局部に頑固な神経症状を残し(自賠法施行令一二級一二号)、この後遺障害により、症状固定時(五九歳)から六七歳に達するまでの約八年間にわたり平均して労働能力を約一四パーセント喪失するものと認められる。
そこで、本件事故当時における原告尾上の前認定の年収額四八〇万五八〇〇円を算定の基礎として、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して事故当時における現価を計算すると、次のとおり、四二五万六一四一円となる。
(計算式)
4,805,800×0.14×(7.2782-0.9523)=4,256,141(小数点以下切り捨て)
(四) 慰謝料(三四三万円)
原告尾上の本件事故による精神的損害に対する慰謝料は、入通院期間、後遺症の内容や腹壁瘢痕ヘルニアの治療費を原告尾上が支出していること等を総合勘案すると、三四三万円(入通院分一五五万円、後遺障害分一八八万円)とするのが相当である。
(以上、(一)ないし(四)の合計は一五九九万四一六〇円である。)
2 寄与度等
前認定によれば、原告尾上は、本件事故当時すでに頚椎後縦靱帯の骨化が相当程度進行しており、骨化靱帯の脊柱管内に占める割合が相当大きくなつていたため、頚椎後縦靱帯骨化症の症状が出現する寸前か少なくとも容易に出現するような状態であつた。したがつて、原告尾上については、後縦靱帯骨化症が、発症しない状態でそのまま続く可能性を完全に否定することはできないにしても、本件事故がなくとも遅かれ早かれ発症した可能性が相当あり、むしろその可能性の方が高かつたものと推認せざるを得ない。
しかしながら、原告尾上がこのような身体的要因を有するに至つたことについて責められるべき事情は同原告にはない。また、前認定の事故の状況に照らせば、原告尾上に後縦靱帯の骨化がなかつたとしても、相応の傷害及び後遺障害が発症した可能性は相当程度あるものと考えられるところ、前認定のように同原告の症状は本件事故から一年余りの期間で症状固定とされ、また、本件事故と相当因果関係のある後遺障害も一二級程度のものにとどまつていることなどからすると、同原告の身体的要素が症状の拡大、長期化に寄与している度合いは、それほど大きなものではないということができる。これらのことを考え併せると、本件傷害及び後遺障害は、本件事故に起因したものとして、相当因果関係を認められるべきであつて、素因に応じた割合的認定ないし寄与度減責をしなければ損害の公平な分担を図れないとは認め難く、この点に関する被告らの主張は採用しない。
3 既払関係
被告らが原告尾上に対し本件事故の損害賠償として一三〇万円を支払つたことは当事者間に争いがなく、被告らが前記の治療費のうちの三五三万三六九七円を同原告の受診病院に支払つたことは、被告らが主張し同原告もこれを明らかに争わないので自白したものとみなされるが、被告らの主張するその余の既払額についてはこれを認めるに足る証拠がない。
したがつて、原告尾上の被告らに対する弁護士費用を除く損害は、一一一六万〇四六三円となる。
4 弁護士費用
本件事案及び審理経過等を総合勘案すると、原告尾上の弁護士費用のうち一〇〇万円を本件事故と相当因果関係のある損害として被告らに負担させるのが相当である。
五 原告橋本の損害について
甲二一ないし甲二三によれば、原告橋本が本件事故により被つた物損は、その主張する八〇万円を下らないものと認められる。
六 むすび
以上によれば、被告荒木は民法七〇九条に基づき、被告会社は人損については自賠法三条、物損については民法七一五条に基づき、本件事故による損害賠償として、各自原告尾上に対し金一二一六万〇四六三円及びこれに対する事故の日である昭和六三年六月二二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、各自原告橋本に対し金八〇万円及びこれに対する前同日から支払済みまで前同様遅延損害金の連帯支払義務があることになる。
よつて、原告尾上の請求は右の限度で理由があるからその限度で認容し、その余は理由がないから棄却し、原告橋本の請求は理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条及び九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 林泰民 松井英隆 佐茂剛)